渋谷心療内科・ゆうメンタルクリニック秘密コラム 「一日一回、『イエス』と言え。」
渋谷心療内科・ゆうメンタルクリニック秘密コラム
「一日一回、『イエス』と言え。」
あなたは「イエスマン」という映画をご存じでしょうか?
ジム・キャリーが主演の、2008年の映画なのですが。
あらすじを簡単に説明します。
ジムが演じる主人公であるカールは、すごく消極的で、内気な男性。
人の誘いにも、「ノー」ばかり言っており、いつも退屈でつまらない日々を送っていました。
そんなとき、ある自己啓発セミナーに、強引に誘われて参加します。
するとそこで、「教祖」のような人物に、
「とにかくすべてにイエスと言え!」
と言われます。
さらに、
「ノーと言うと、神罰が下るだろう!」
とオドされたため、しかたなくそれに従うことになりました。
その結果…。
ホームレスにお金をせびられても「イエス」。
休みの日に出勤をするように言われても「イエス」。
仕事で無理なお願いをされても「イエス」。
隣に住んでいるおばあさんに迫られても「イエス」…。
というように、色々な場面で、イエスと言わざるを得ない状況になってしまう…というコメディ映画です。
ちなみにその中で、個人的に面白いと思ったシーンがあるのですが。
彼は「イエス」ということにより、色々な趣味を始めることになってしまいます。
飛行機の操縦、ギター、バンジージャンプ…。
そのうち一つに、「韓国語学習」がありました。
いや、何で韓国語、とか思うわけですが。
ただ「イエスということで、色々とマニアックなことまでしてしまう」という流れだったので、韓国語が、バンジージャンプと同じくらいマニ(以下略)
…話を戻します。
さて、この映画の中では、学んだスキルは、きっちりすべてが役に立った、という展開でした。
たとえばギターを学んだことで、自殺しようとしていた人の前で弾き語りをして助けた、とか。
(良い子はマネしてはいけません)
その中で、「韓国語」が役に立ったシーン。
カールは友人と、結婚式のサービスを行う会社に行きました。
するとそこで、偶然にも韓国人の女性店員がいました。
その店員さん、ものすごくトゲトゲしく、ロクな対応をせず、「早く決めたら!?」というような口調で話してきます。
さぁ! そこで彼は、学んだ韓国語で、話します!
「どうしてそんなに怒ってるの? 何か悩みでもあるの?」
すると、韓国語で話しかけられて気がゆるんだ店員さん、自分の悩みを語ります。
「幸せそうな新婚の人たちを見るとイライラして! 私には恋人もいないのに!」
いや、それってどうなんですか。プロとして。
するとまぁ、主人公であるカールは、韓国語で説得します。
「そんなことを考えていてはダメだ。相手を幸せにしてあげたら、自分も幸せになれるだろう?」
そうすると、店員は言いました。
「確かにそうね! 私、頑張ります!」
なんてシンプルな。
この一言だけで納得できる店員なら、たぶん普段のどこかで勝手に自己解決してると思うんですが。
いずれにしても、この映画を見て、韓国の方から、
「韓国人はそんな簡単に怒ったりしない!」
というような、怒りのクレームが来たりしなかったのだろうかと不安になりました。
………まぁ。
とにかく彼は、イエスと言うことにより、大変なことも増えますが、それでも行動の幅は広がり、チャンスや出会いも広がり、最終的には幸せになっていく…というような映画です。
興味ある方は見てみてください。
◆ 人生に、イエスと言う。
さてこの、「必ず『イエス』と言う」という行動。
もちろん、すべての人のお願いにたいして「イエス」というのは、現実的にかなり厳しいこだとは思います。
ただ、それでも少しだけ、学ぶところもあるように思えます。
実際に精神科医であるヴィクトール・フランクルは、このような言葉を残しています。
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人間は、「自分のしたいこと」をするのではなく、自分のことを忘れ、「誰かのために、自分ができること」を全力で行う方が大切である。
そしてそれこそが、生きる満足を感じるための、唯一の道である。
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…いかがでしょうか。
とにかく、人のお願いにたいして、もしくは人が困っているときに、「イエス」という。
それこそが、自分自身が幸せになるために、何より大切だと言うのです。
まさに「情けは人のためならず」ということわざの通りです。
「いやいや! そんなの理想論すぎるよ! 実際、何でもイエスといっていたら、どんどんみんなが調子に乗って、自分がナメられていくだけでは!?」
と心配する人もいると思います。
自分もそう思いました。
しかし。
彼のこのセリフは、決して、きれい事ではありません。
このフランクルはユダヤ人で、ドイツのアウシュビッツ強制収容所に入れられていたこともある人物です。
収容所で過酷な体験をし、大量虐殺など、死と隣り合わせの生活で、生き残った…。
そんな大変な苦労をした彼が、その中でたどりついた境地が、その言葉なのです。
そう考えると、一つの真実があるように、思えませんでしょうか。
◆ とにかく一日一つでいい。
ですのでまずは、ダマされたと思って、こう実践してみてください。
「一日につき、一つだけ、ノーをイエスにしてみよう」。
すべてを「イエス」にすると、疲れてしまうので、一日につき、たった一つだけで構いません。
「手伝ってくれない?」と言われたとき、「イヤ」と思ったら、今日だけ「いいよ!」
「仕事が大変だなぁ」と言う人がいたとき、「手伝うのも面倒だからスルーしよう」と思うなら、今日だけ「手伝おうか?」
やらなきゃいけない勉強があり、「明日にしようかなー…」と思うなら、やはり今日だけ「今日、少しだけやろう!」
内容は何でも構いません。
自分のことでも、誰かのためのことでも大丈夫です。
とにかく今までの自分なら「ノー」になるところを、たった一つだけ「イエス」にするのです。
実際に自分自身、これを結構前から、心がけています。
少し面倒だった勉強をする。
頼まれごとをやる。
初対面の人に、声をかけてみる…。
一日に、何でもいいので、「昨日までの自分なら、ノーだったことを、イエスにしてみる」。
これをやってみるだけで、いや、何か本当に、スッキリ感があるのです。
他の人の役に立ったとか。自分が少し成長した、とか。
それに引き替え、「自分自身にとってラクなこと、自分自身が望むことをやる」というのは、もちろん、嬉しくはあるんですが、なんか一過性というか。
「あれっ…? こんなものだっけ…?」
というような、ちょっとした薄っぽさを感じるのです。
具体的には語りませんが、なんか性的な色々に通じるものがあるかもしれません。自分だけで行うか、他人を巻き込むか、という。
いずれにしても、他人のために何かをする、もしくは過去にしなかったことをする…というのは、
「今までの自分が当然するであろう、自分のための行動」より、ずっと達成感があるのです。
本当に、小さな行動一つで構いません。
もしやりにくければ、「一つイエスをしたら、夕食を食べていい」「寝ていい」「色々していい」みたいに、自分の食欲や睡眠欲、性欲など、欲求を人質にしてみるのもアリではないでしょうか。
それだけで、毎日何かをする理由づけになるはずです。
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◆ 今回のまとめ。
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○ 一日につき、一つだけ「今までの自分ならノーだったことを、イエスにしてみる」と心がけること。
○ それだけで、不思議と達成感がある!
○ 行動しづらければ、自分の欲求を「人質」にしてしまうこと!
試してみてくださいね。
◆ さいごに
「百尺竿頭一歩を進む」
という言葉があります。
百尺(30m)あるサオを昇って、先っちょまで到達したら、さらにそこから一歩進んでみろ、という内容です。
いやもちろん、本当にやったら落ちちゃうわけですが。
それでも、そのくらいの気概で進め、という意味の言葉です。
でも…。実はすでに、僕たちの毎日も、同じくすでに「百尺竿頭」なのかもしれません。
「もっと高い位置があるはずだ。いつかそこまで到達しよう」
「自分には、もっと色々成功できる未来がある」
なんて思わないでください。
今の時点が、もう最高到達点なんです。
すでに、あなたの人生の、百尺竿頭なんです。
「いつか変わろう」なんて思って、今と同じ生活をしている限り、ずっと変わらぬ、終着点なんです。
だからこそ。
そこから今日、今この瞬間、もう一歩を踏み出してください。
それをしない限り、あなたはずっと変わらず、一生を終えることになります。
たった一言、一回だけでいいんです。
「ノー」を「イエス」というだけで、毎日は大きく変わるんですよ。
(完)
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。